祖母の思い出

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父方の祖母は同居だったのだけど、いわゆる優しいおばあちゃんという思い出はない。気難しくて、人付き合いが好きではなさそうで、いろんな人とぶつかって、老人会に入っても続かず、ひとりで街にでかけてケーキ食べてパフェ食べてモロゾフのチョコ買って帰ってきて、たまにそのチョコをもらって嬉しかったのが思い出。(画像は、祖母のチョコを思い出して、以前自分で買ってみたもの。右のやつ。)

昔ブログに祖母のことを書いたことがあった。

→祖母とか実家とか1 - 現在事務員

→祖母とか実家とか2 - 現在事務員

私は母みたいな人を目指したいんだけど、どうも祖母似な気がする。

そんな祖母も亡くなったあとに思い返してみれば、若くして夫を亡くし(祖父は30代前半で結核で亡くなった)、女手ひとつでフルタイムで働いて子ども三人育てて、大変な苦労をしたんだろう…と、勝手に想像していたのだけど、なんか違ったみたい。

この前の帰省で、父が「おかあちゃん(祖母)と夙川にお花見に行ったことがある」という話をしていて、きっと子どものときに連れていってもらったんだろうなぁとほっこりして聞いてみたら、「いいや、大人になってから。あの人は子どもに対する愛情とか全くないから、子どものときどこにも連れて行ってもらった思い出なんかない」という。

私「いやいや、女手ひとつで子ども三人育てて、仕事も忙しかっただろうし、大変やったんでしょう」と言ったら、父「いやいやいや、だっておばあちゃん(曾祖母)と同居やったから、家のこと全くしてないし。○○子さん(父の妹)は養女に出したから子ども実質二人やったし。」

えぇぇぇ、初耳やわ。

私「でも、家のことはひいおばあちゃんがやっていたとしても、大黒柱やったから、きっと仕事が大変で余裕がなかったんちゃうん?」。父「いや事務の楽な仕事やったし、とにかく子どもに冷たかった。あの人は人の心がないから。」うーん。そこまで? まあ、否定しても仕方がない。父の中ではそういう母親像らしい。

私の中で勝手に創り上げていたイメージがまた変わったけども、本当のところはどうだったのかは分からない。父が知らない(もしくは言わない)だけで、祖母は祖母なりに色々と大変だったはずだ。

それにしても、母方家族も謎が多いけど、父方も聞いてみると初めて知ることばかりだ。母の話ももっと聞きたかったなぁ。父の話は、このようにふと聞くと語りだすんだけど、あんまりいい思い出がなさそうなので、積極的には聞いていない。

多分私なんかも、兄弟や親からしたら、何考えているか全く分からない謎の存在なんだろうな。