「35までに1000万。」のサイトのまとめの続き。
2006年4月、定年まで働く気満々で、教員に復帰した。
新卒の2年間他県で経験していたが、どうしても合わずに軽いうつになり、辞めて逃げるように現在の県へ越してきたという経緯がある。もう二度と教員はやらない!と思っていたのに、5年経つとその大変さを私は忘れかけていた。
不安もあったけども、
・どうしてもどうしてもどうしても公務員になって安定した収入を得たかった
・あれから数年経って自分も人間的に成長したのではないか?
・好きな人が側にいるから頑張れるのではないか?
・別の職の面接で散々「あなたは教員に向いている」と言われ、調子に乗った
・一般の公務員試験に玉砕した中、ろくに勉強もしていない教員採用試験に受かったということ=やっぱり向いているのかも・・?
なんて、甘すぎる考えで復帰。
結果的に駄目だった。またうつ状態になってしまった。
でも未だに、本当はうつじゃなくてただ辞めたいだけだったんじゃないか、とも思う。まあどちらにせよ、続けられなかったのは事実。
心のバランスが崩れてしまうことって誰にでもありうると思う。「うつっぽくなったらこうしたらいい」なんてアドバイスは私にはできない。自分自身うつだったのか、何だかよく分からないし、原因や症状は百人百様なので一概に言えない。
自分について、書くだけ書いておこうと思う。
1 何故続けられなかったのだろう
日記を読み返して我ながら思うけども、何が嫌だったのか、何が原因で調子が悪くなったのかをほとんど書いていない。
特に問題のあるクラスを担当していたわけでもなければ、学級崩壊をおこしたわけでもないし、学年的にも楽なところだったし、傍目から見たら頼りないかもし れないけどもそれなりに仕事をしていたように見えたと思う。
子どもに徹底的に嫌われていたわけでもない。人前で全く話せないわけでもない。
結局、分からない。
この、自分のことなのに言葉をもって説明できないところや、私自身の甘さ(優柔不断さ)、いい加減さが自分で許せなかったのかなぁ。分からない。
数年経ってもよく分からないので、もう分からないままでよしとする。
2 そもそも本当に「うつ」状態だったのか?
具体的に症状を振り返ってみると
・ 毎日が憂鬱でほぼ毎日泣いていた。家で全く笑えなかった。
・ 寝なきゃと思うのに充分眠れない。悪夢で目が覚めたりする。
・ 頭の働きが鈍くなり、思考力・理解力ががくんと落ちていた。読んで分かるはずのものが頭に入らない。事務仕事に時間がかかる。
・ 人の言葉に対する反応もいつも以上に悪かった。
・ 判断がすぐにできない。スーパーに買い物に行っても何を買えばいいのか分からなくなって、ぼーっとしてしまう。
・ 食欲が落ちる。作る気力が全くない。
・ 楽しみが何もない。悲観的なことしか思い浮かばない。
・ 自分が死ぬ具体的イメージがくっきり頭にあって、でもそれを実行してはいけないと思いつつ、いつか衝動的になりそうで怖かった。
普段の自分とは確実に違っていた。普段は、根暗だけど上に書いたようなことが続くことはない。
でも食欲ないと言っても、お昼はしっかり食べていたし、充分眠れないといっても平日3,4時間は寝て、休日に寝っぱなしだったりしたし、本当にうつ病 だったら、仕事を辞めてすぐに次へのスタートをきることはできなかったのではないかと思う。(私は4日後には次の職場が決まった)
だから、何だったのかよく分からない。分からん、分からんことだらけ。
3 病院通いについて
虫歯になったら歯科へ行く。結膜炎になったら眼科へ行く。不正出血があれば婦人科へ行く。なので私は、心の調子が悪けりゃ心療内科に行く。他の科と変わりはない。
でも他の科以上に、医者による当たり外れが大きい科だと思う。薬だけポンポン出す医者もいれば、話をじっくりきく医者もいる。
私が行ったクリニックの医者は、決めつけが激しいように感じた。こちらは、医者に行ってもなんだか頭が働かないしうまいこと話せない、そんな中でも自分なりに現状を伝えたつもりだった。
ところが、教頭とその医者が私抜きで二人で話した際、教頭には、私は「子ども嫌いで子どもの声を聞いているとうんざりするとのこと。うつ『病』じゃないけど、うつ 『状態』で、診断書は本人が辞めたいと言うから書いただけ。」と伝わっていた。(私は子ども嫌いなんて言った覚えはない。)
まあ確かに医者はあっさりしていて、「辞めたいなら診断書書くけど?どうする?」という感じだった。
うつのときに重要な判断は避けた方がいいとよく聞く。当然医者も分かっていることだろう。それを考えると、「そんな簡単に重要なこと即答できないよ。」と 今なら思うけど、その医者は、私がただ辞める理由を作るために病院に来たのだと、最初から感じていたのかもしれない。
何人も診ている医者がそう思うってことは、そうだったのかな。自分でも分からない。私は通院当初、薬を飲んで仕事続けられるもんなら続けたいと思っていたのだけど、そのうち辞めることしか考えられなくなっていた。
結果的には、ずるずる続けることにならなくてよかったと思う。その医者の後押しがあったからこそ、すっぱり辞められた。休職等も選択しなくてよかった。
4 ストレス解消法
当時のストレス解消法といっても、何もやりたいことがなかった。特に食べたいものもなかった。楽しいと思えることが皆無だった。
「仕事の時間外は頭を切り替えるのがいい」というけども、次の日の準備が膨大すぎて(まだ要領を得ていなかったということもある)、家でも仕事のことしか考えられなかった。
唯一ストレスの解消といえば泣くことぐらいか?でも泣くことは毎日だと周りに迷惑(心配)をかけてしまうし、顔は腫れるし、頭痛はするし、眉間にしわがつくし、後味が悪い。
仕事を始めて数ヶ月でダメだと判断するなんて根性がないとも思う。でもすでに昔2年間やってだめだなと感じていたし(そこで学習能力がなくもう1回チャレンジしたのが私の浅はかさ)、別の仕事だとストレスを感じないだろうことは分かっていた。ならば、さっさと逃げたもん勝ちだと判断した。
周りに大きな迷惑をかけることになるし、職歴もややこしいことになるけども、死ぬよりは投げ出した方がまし。死ぬよりはと思えるということは、軽い時点にいたということだ。
5 経験して分かったこと
以下私の偏見である。
きついときは誰がどんな言葉をかけてくれようときつい。声をかけられればかけられるほど、すみませんって気持ちになる。だからもうしょうがない。周りまで親身になりすぎて、つられて落ち込みすぎてもよくない。
例えば周りの人が心の病気で落ち込んでいたとして「力になりたい」と思っても、私は本人じゃないんだから「気持ちが分かる」といえば嘘になる。
ということで、必要以上にひきずられず、変わりなくしてるのがいい。冷たいかもしれないけど、今後もそういうスタンスでいくと思う。
2006年4月~6月まで、たった3ヶ月だけども長かった。過去に1度失敗したことなのに「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、私は2度も失敗してしまった。学習能力がないなぁ。
教員に戻ることはもう絶対にない。精神的に無理をしても続かないということが充分過ぎるぐらいに分かった。体の疲れなんて、精神の疲れに比べたらどうってことはない。