桃栗三年、柿八年というけども。

昔、私が小さかったころ、実家の庭に父が柿を植えて「桃栗三年、柿八年」と言っていた。「八年たったらほんまに柿がなるんかな」とわくわくしていた。

もう何年経ったか分からない。30年ぐらい経ったかもしれない。柿の木はおばけみたいに、あきれるほど育った。10月の帰省時には、電線にかかりそうで焦った。実も、やまほどなっていて、でも「誰も食べないからとらない」なんて父が言っていた。

今回帰ってみると、柿の木が切ってあって、通りから見るととてもすっきりしていた。また植木屋さんに頼んだのかなぁと思ったら、父が自分で切ったとのこと。「おぉ、がんばったやん」と思ったけども、ムクドリが、落ちた柿の実を食べにきてフンをして困るとのことだった。

ならば、私が柿を片付けようじゃないかと近寄ってみたら、柿は大袈裟じゃなしに何百個も落ちているわ、木の切ったのもそのまま地面に落としているもんで、柿を拾うだけではすまないわ、恐ろしいことになっていた。

今は寒い季節だからまだいいかもしれない。これ、柿が腐ったらどうなるのだろう。父は、干し柿になって干からびて枯れていくと思っていたのかもしれないが、もう完熟で、鳥が食べるに絶好の熟し具合だった。土になんて戻らないほどの柿の海!

お正月早々、家の掃除の合間に拾って、木の枝も少し切ったりまとめたりして45Lごみ袋7袋分はがんばったけど、半分も済まなかった。あぁぁ、次の帰省が恐ろしい。虫とか発生していないといいけど…

 

それにしてもなんだかせつないなぁ。夢のマイホームのはずなのに。

庭のあじさいにしてもお花にしても、母が喜ぶから父がはりきって植えていたけども、今となっては本当に手入れが大変。というか手入れをしないので、伸び放題で、隣の家に侵入してしまうのが気がかりだ。

父が許すなら、お金をかけて一掃してしまってもよいと思うんだけど、まだまだ父は元気で、「今は仕事や趣味の畑仕事で忙しいから家の庭まで手が回らない」ということになっているので、下手に手をだせない。

 

以前のブログで何度か書いたことのある、玄関のゴルフボール(ロストボール拾いもの)コレクション。

2014年、はじめて発見したとき。

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2015年、マックス。奥の除草剤類もよけても、次のが置かれるだけなので、敢えて触らず。

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掃除のたびにゴロンゴロン落ちてストレスなので、今年だと思うが一部を袋に入れて別の場所に移し、中身を減らした。・・・が、また今回増えた気がする。

2017年、新春。

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完全にオブジェと化している。玄関に彩りを与えてくれている(と思うしかない。)